頚部神経鞘腫 治療記録② 最初の診断名
すごくドキドキしていました
やっぱりどこかに癌ではないのかって不安があり早く正体が知りたかった
病院では若い男性医師が担当してくれました
血液検査、エコー、細胞針検査をし
次週また行くと
先生は
「悪いモノは出なかったから取らなくていい多形腺腫かな」
みたいな事を言われました
その時は安心して帰ったのですが、、、
その後しばらくして
しこりが大きくなっているように感じて、心配になり
再度、J病院に行きました
当時直径3.5cm位
すると前回の先生が辞めてしまったみたいで新しいまた若い先生に担当がかわり
前回と全く違う事を言い始めました
MRIをして細胞針をまたして、、、
ちなみに細胞針、、、めちゃくちゃ痛いです!
涙ジワジワしますしかも2回目、、、怒
そしてMRIの結果、、、
先生は
「これは取らないとダメです。こんなに大きいのが身体に入ってて身体に言い訳ない」
「難しい場所だから、この病院では取れないから癌センターに紹介状書きますから」
と、前回の先生と全く正反対の事を言ってきました
、、、
もうなんでーショックーまだ三男小さいのにー
しかも癌センターっフレーズに落ち込みまくりました、、、
そして、築地の癌センターに、、、
頚部神経鞘腫 治療記録①最初の見過ごし 首のシコリ
私がブログを始めようと思った理由
頚部神経鞘腫を患って不安だらけの日々に同じ病の人が書いたブログからたくさんの知識を得たからです!
私も誰かの役にたてれば、、、との思いから4年前からさかのぼり出来る限り詳しく
書いて行きます
まず、さかのぼる事、練馬区にまだ日大病院があった2011年頃、右の耳の下辺りにしこりをみつけ(痛みナシ)不安で病院に行った事から始まります
当時、私は30代前半、長男は5歳、次男は2歳で本当に育児真っ只中であり
病院に行くのは中々の一大決心でした
それなのに、、、
担当のおじ様医師は、いわゆるパワハラ的な圧のある方で、血液検査をして特に問題がないのが分かるとエコーなどはしてくれず
「結果大丈夫って出てるだから、いちいち心配してもしょうがねぇだろっ」
って嫌な言い方をされ、、、
あ、あきらかに女、子供にだけ強気なオッサン、、、と思い
イライラ帰宅し
また育児漬けの日々に戻り、、、三男を妊娠→出産とさらにバタバタの日々でしこりを気にする暇すらなく数年を過ごしました
そして
次男が幼稚園を卒園する2014年春ふと首を触るとしこりがかなりの大きさになっている事に気がつきます
当時まだ三男は1歳まだまだ病院に気軽に行ける状況ではありませんでしたが
さすがに焦って母に来てもらい
練馬J病院という大学病院に行きました